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2017年06月11日 (20:03)

不確かな記憶は、空想なのか幻想なのか 「桜の記憶の中の一つ」


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地方都市と地方都市を結ぶ幹線道路があちこちにでき、今まで何もなかった土地が切り開かれ新しい町ができる。古くから人が住む集落も規制が変更され新たな価値を持ち、様々な建物が立つ。知っていた土地も数年も離れれば、全く知らない土地のようになる。

今までに無いスピードで人の流入流出が起こり、今まで問題にもならなかった「郷に入れば郷に従え」的発想の強要が、新旧の住人の間で小競り合いを起こさせるが、結局は多数が少数を圧倒すると言う従来通りの最も原始的な方法が解決していた。

子供にとってもそれは同様だった。全ての変化を受け入れられる訳では無かったが、大人同様多少薄めに作られた新たな地方特有のルールを嫌でも受け入れるしかなかった。それは、「いじめられない事」と「遊び相手の確保」に直結するからだった。

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記憶に、広場のような空間が有った。私が引っ越してきた家から少し距離は有ったが、それでも小さな子供でも歩いて行ける距離だった。公園のように手入れがしてある広場ではなく、いわゆる空き地というやつで、背の低い雑草や大きな石でまだらになっていた。

三方が比較的新しい塀や壁に囲まれていて、道に接した側の入口あたりに1本の大きな桜の樹があった。随分年老いているようで、周りの木々が緑で覆われても申し訳ない程度の葉しか付けなかった。この樹が満開の花で覆われたのを見た記憶がなかった。

樹のすぐ横の道の反対側に大きな石があった。石は明らかに人の手が入っていて、荒くだが四角く加工され上の部分が平らだった。樹は子供が二人手を回してもギリギリ届かない程の太さが有ったが、その石の上に乗れば登れるくらいの高さから枝が出ていた。

空き地の周りに家が立っていて、土地ギリギリに垣根や塀があり、三方は完全に壁の状態だった。道の面した方向も道を隔てた側は猫の額のような畑で、その向こう側は、やはり塀だった。この土地だけが、囲まれ隔離され、ぽつりと残されているような感じだった。

何かしら地元に伝わる古い話を聞いた気がするが、ずっと以前からここに住む老人たちの口からしか出なかった言葉だったので、それほど気にする事も無かった。自分の親をはじめ、新しくここに住みだした人の口からは何も聞いた記憶が無かった。

確か桜の樹の話だったような気がする。桜の樹に切ってはいけない理由が有り、その為に空き地は何の利用価値も無い事になっていたように受け取っていた。大人が桜の樹の近くにいた記憶が無かったし、子供が居る事をよくは見られていなかった気がする。

それが逆に子供に価値を持たせた。「あの桜の樹に集合」と言う時の「あの」と言うキーワードは、何となく秘密めいていて特別感を持たせていた。しかし子供たちも他の場所へ行くための集合場所と言うだけで、空き地や桜の樹を最終目的にする事は無かった。

この集合場所には、もう一つの特別な意味があった。この桜の樹に登れるかどうかと言う事だ。この樹に登れる事が上の年代に相手にしてもらえる条件だったのだ。自転車に中々上手く乗れなかった私は、登れるというアピールを何度もしなければならなかった。

桜の樹の上からの風景は、四方が塀に隔てられ、見えるのは家の壁と屋根くらいで、何も魅力は無かった。手のひらを広げて重ねたような枝のせいで、空さえも小さかった。登ると言う努力に対しての見返りとしては、残念としか言いようが無い風景だった。

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木登りと言う自己アピールは、それなりの効果と結果をもたらせたと思う。しかし、もっと大きな効果を発揮したのは、この土地に馴染めずに周囲と距離をとった事と、親の社会的地位という大人の世界が、子供の世界にも影響したと言うのが事実だろう。

結局、樹に登る努力など無駄な努力だったと位置づけた。意味不明な笑顔を上手く作り、適度に存在を消す方法を身に付ける方が効果的な事に気が付いてしまったのだ。実際、集合場所の空き地も樹登りもここが最後で、二度とする事はなかった。

よそ者は何処へ行ってもよそ者なんだと引いて考える事は自己否定にならない、むしろ周囲と友好的な関係を構築する平和的解決法だと、自己弁護出来る自分に多少酔ってはいたが、周囲の風景や時間の経過を楽しめる余裕は、まぎれもなく心地良かった。

立ち位置が出来たと思い出した頃、引っ越す事になった。長く居る事がないのはわかっていたし、馴染み切れない土地から離れられるのはうれしかった。「また初めから」と言うのは、少し辛い感じもしたが、子供に選択肢が無い事くらい理解していた。

大人と呼ばれる年齢になって随分経ってから、この空き地のあった土地に沿った幹線道路を車で通る機会が何度か有った。帰り道の車の窓から左の方向に少し離れて見えるその土地はあの頃と随分変わり、記憶の中の面影はほとんど感じられなくなっていた。

目の前に見えるこの景色が何故か心を刺激する。どちらかと言えば嫌悪していた土地が今になってイライラするような感傷を与える。意識して遠ざかっていたつもりはなかったが、来る用事が無いと言う理由で、意識して近づかなかったのが事実かもしれない。

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桜の花が散り新緑が樹を包みだし、梅雨も近いと思わせる曇り空の日、予定よりも早く事が終わり、明るいうちにあの空き地の近くを通る事になった。幹線道路から左の方角を見ると「何か」がいつもよりも強く、過去を記憶する部分を刺激していた。

そうするのが当たり前のように、左折用のレーンに入り、ゆっくりと空き地の有ったと思える方へ向かって行った。あれからも変化し続け、随分変わってしまった風景の中を、あまり楽しい記憶の無かった短い間住んだ土地へ向かうのは、不思議な感覚だった。

ほんの少しの懐かしさとはバランスが取れないほどの不思議な恐怖感や不安感が頭の中で広がっているのに、行くのを止めると言う選択肢は無かった。随分変わってしまったとはいえ、目に入るそこここから以前を感じられて、時間の感覚もおかしくなっていた。

「彼」の意識をたどれば目的地に着く。自らの意志とは別に、進む方向に導かれているような気がした。車の中の空気がどんよりと重くなっていく気がした。窓を開け、深呼吸をし、ハンドルを握りなおし、ゆっくりと細い道の中へ入って行った。

何故あの空き地を目指すのか、理解できていなかった。特別な感情の起伏はなかったが、訳の分からない感情が体中に広がっていた。道が随分細く感じた。対向車が来るたびに車を脇に寄せて止める事になった。あの頃の記憶では、もっと広かったはずだ。

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随分変わってしまった風景に、自分が何処にいるのかわからなくなりそうだった。頭の中に残っている記憶と目の前の風景を、時間という誤差を意識して修正しようとした。何故こんな事をしているのか、周りをきょろきょろと見回しながらゆっくりと走った。

少ししてあの空き地が有ったはずの場所を過ぎている事に気がついた。あの空き地の有ったあたりではと、過去と現在の違いを感じるくらいの何処かしら不思議な感情が湧く場所が有った。しかし何故か、体が止まる事よりも通り過ぎる事を選んだ。

あの頃には無かったスーパーの駐車場でUターンをして、もう一度来た道に入って行った。道路の隅に引っかかるような状態で見覚えのある大きな石が転がっていた。あの頃の記憶からは随分小さく感じたが、桜の樹の横に有った石だと何故か確信できた。

あの頃気にも留めなかった大人たちの言葉が、突然頭の中で広がっていった。子供には理解できなかった「あの頃」の色々な出来事が、一気に大人になった「今」と混ざりあった。ここに来てはいけなかったんだと判断した瞬間体の力が抜け、車の速度が落ちた。

突然、頭の中で声がした。「止まるな、振り向くな、アクセルを緩めるな。」言葉は命令だった。緊張が体を走り、アクセルを踏んでいる足が「もっと踏むように指示を出せ」と頭の中に指示していた。自分の意志と別の自分の意志とが、体を取り合っていた。

ここから離れて行く事が今する事の全てだと判断した意志が、もう一つの意志を抑えていた。どれほど焦っても少しも時計の針が進まないような感じが続いていた。ここに住んでいた頃の事が、次々に甦ってきた。「今」がいつなのかわからなくなりそうだった。

「あそこは駄目だよ」「他の場所で遊びなさい」子供の頃には気にしなかった大人たちの言葉が、明確になっていった。忘れてしまったというよりも土地を離れてから必要ではなくなった知識だった。空き地は、使い道が無くて放置されていたのではなかった。

遠い過去、あの広場は処刑の為に使われた場所だった。首を落とし、洗った場所だったのだ。あの桜の樹は、その頃からあったと言われていた。そしてあの石は無縁仏の墓石だった。子供たちの勇気の証明は、樹に登れる事ではなく石の上に乗る事だったのだ。

気が付いた。記憶の何処を探っても自分以外が、あの石に登った姿がなかった。木登りはある意味で、いじめと呼ばれる行為であったと言う訳だ。土着を許可する為の通過儀礼として、上下関係を明確にする必要な命令行為だったのだ。大人の世界と同じだ。

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普段生活している土地に寄り添うように、そういう特別な意味を持った場所が存在した。人は必要以上に近寄らず、否定もせず、生活の一部として甘受する。見て見ぬ振りをしていたとしても無責任にはならない程度に。大切なのは認知する事だった。

あの場所が、聖域であり私が汚してしまったのか、不浄の土地であり立ち入ってはいけなかったのかわからない。墓石に登ると言う愚行が何を意味するのか。それらと他力で干渉する事がどれほどの罰なのか、何を意味するのか。はなから意味などあったのか。

過去、人々が理解を超えて、特別な感情を持つ場所が存在した。八百万の神が季節ごとに行う行事の主役でしかなくなり、仏教も神道も基督教も宗教と言うひとつの規格で、信仰と言う心理的要素でしかなくなった今、土地に利用価値以外の価値はなくなった。

土地に対しての敬意も畏怖も無意味になり、人と言う短命で身勝手な生物が自らの単位を基準とした規則で全てを判断する。大量に人が住む所に価値が有り、人の住まない所には価値は無い。人の少ない土地に住む人にも価値は無いと決めてしまったのだ。

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ふと、バックミラーの中を覗いた。その瞬間「まだ駄目っ!」と言う言葉が頭の中に響いた。体が固まった。まだ「ここ」から出ていない事を思い出した。バックミラーから視線をそらす事も目をつぶる事も出来なかった。「もう遅いよ」頭の中の「彼」が呟いた。

バックミラーの中に見えたのは、あの桜の樹だった。満開に花が咲く桜の樹の前に幼い男の子が立っていた。痩せた体に、細くてさらっとした長い髪が揺れていた。風に吹かれて花びらが舞い、バックミラーの中は、空までもが桜色に染まっていた。

体全体を鷲掴みにされているようで、自分の意志は頭の中に止まったままだった。何も出来なかった。「駄目だって言ったのに」頭の中で落胆した恨めしそうな声がした。その声の主を知っていると思った。バックミラーに映る少年の姿にも見覚えがあった。

風に吹かれて渦を巻く桜の花びらで男の子の姿が見え隠れしたのが、まるでズームされたかのように一気に大きくなった。彼の口が動いた。「自分で捨てたものをわざわざ拾いに来るなんて。」溜息が混ざったような声は、やはり聞いた事のある声だった。

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体中の毛穴から一気に汗が吹き出し、体温が急激に下がるのを感じた。彼の落胆が、まっすぐに胸に刺さった。「嫌な事なんか、全部忘れちゃえば良かったのに。」その言葉が、彼の口から出たのか、自分なのかわからなくなっていた。推測と想像が確実になった。

頭の中で響いた声の主もバックミラーの中の子供も自分自身だと自覚してしまった。一人芝居だったと言う訳だ。バックミラーの中の少年と目が合った。彼が笑っているような気がした。彼は両足が足首まで土に埋まっていて、あの場所から動けなくなっていた。

覚悟は出来ていなかったが、諦めて受け入れるしかなかった。バックミラーいっぱいに彼の顔が映った。桜の樹の前の「少年」も頭の中の「彼」も私自身だ。そんな事は初めからわかっていた事だった。推測も想像も必要が無いほど確実に私自身と言うだけだった。

バックミラーの中の私の目に、笑っている私自身の姿が映って見えた。彼が見ている私の眼の中に映る彼も多分笑っているのだろう、と思った。信号が青になり、車がゆっくりと動き出した。窓ガラスに張り付いていた桜の花びらが、飛んでいくのに気が付いた。

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2012年05月04日の「不確かな記憶は、空想なのか幻想なのか (8)」を修正加筆したものです。
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