■ *Albert Ayler

■アイラーと中也(もしくは、New York Eye and Ear Control)

アイラーと中也の出会いは、
蝙蝠傘とミシンの出会いほど、
刺激的じゃなかった。


 アルバート・アイラーのニューヨーク・アイ・アンド・イヤ・コントロールを聴いていて急に中也の詩が読みたくなった。子供の頃に買ったもので何度も何度も読み返したが、いつの間にか手にする事が無くなっていた。本棚を軽く見回したが、有る気配もしなかった。
 探すと言う行為が疎ましかったので本屋まで出かけてみたが、残念ながら田舎の小さな本屋には置いてはなかった。仕方が無いので覚悟を決めて二階の倉庫代わりになっている部屋にもぐり込む事になった。随分の間、手にしていないので出てくるという自信はそれほど無かった。
 もう何年も動かしていない段ボール箱をあちらからこちらへと動かし『書籍』とマジックで書いてある箱を次々と開けていった。良かった、棄ててはいなかった。今では過去の思い出とガラクタになってしまった、もろもろの物と共に出てきた。手を真っ黒にするほどの埃にまみれていた。もう20年近く手にしてないから当たり前か。

 中原中也の詩の言い回しが好きだった。ほんのささやかな状況や情景を切り抜き、自分というフィルターを通し、書き連ねたという風に感じていた。あまり深く強引に自分の感情や感性を押し付けようとしないものが好きだった。
 彼の書くものは激情を強引に叩きつけるような感じに感じる事が無かった。自分の感傷は自分のものであって、その全てを他人と分かち合う事は出来ないという考えているように思えた。人前にさらす事を恥ずかしんでいるようにも感じた。「お願いだからわかって欲しい」という気持ちと「どうせわかってもらえないだろう」という気持ちと「君には君の感じ方がある」という気持ちが、ゆらゆらと揺れているようにも感じた。
 思い込みの激しい二十歳前の私には、とても魅力的で共感の覚える詩だった。どうしてなのかわからないが、中也の詩とアルバート・アイラーのレコードが自分の中でリンクしはじめたのは確かな事だった。何度も聴いているのにこんな気持ちになったのは初めてだった。

 フリー・ジャズを感情を押し付けてくる強引なものと思っている人もいるし、そう言うものを演奏した人もいる。しかしここでのアイラーは全く違う。まさしく自分と言うフィルターを通して表現された情景描写なのだ。アルバート・アイラー達がサウンド・トラックと言う映画のBGMという形をとって表現したのは、ニューヨークの風景なのだ。この頃の彼らは心の中に見える風景を楽器という道具と音楽と言う媒体を使って表現していたのだ。
 ある程度の規制を自分にかける事によって方向性に揺らぎが無くなり純度が高くなり自分の中の不安がコントロール出来る様になる。『フリー』と言う言葉とは裏腹な方法によって音楽が音楽という枠から逸脱しようとする場面を作り出すというのはとても面白い現象だと思う。
 一概の迷いも感じない演奏はその為だったのだ。どんな心象も風景も個人という媒体を使い表現される事によって一つのカラーを持つ。彼らはそれがわかっていたから必要以上の感情を出そうとはしなかったのだ。一見つまらなくも感じる平坦な演奏はそのためだったのだ。そこに表現されているのは町の喧騒を感じる彼ら自身であり彼らが感じたニューヨークの喧騒そのままだったのだ。ニューヨークという巨大な都市に付加される色々な物語りをそぎ落とし情景としてのニューヨークを赤裸なまでにストレートに具現してしまったのだ。

 アイラーには音楽家としての才能がそれほど無かったのかもしれない。ハービー・ハンコックがスイカ売りの売り口上を音楽として純化できたことに対してアイラーは喧騒自体を表現したに過ぎない。しかし心の中をそのまま吐き出す事しか出来なかったアイラーは逆に他の音楽家からは羨ましがられたんではないだろうか。
 アイラーがコルトレーンを愛したようにコルトレーンもまたアイラーの事が羨ましくて仕方がなかったんだと思う。もしかしたらアイラーのようになりたかったのかも知れない。ただ残念な事にコルトレーンはアイラーほど無垢でも馬鹿でもなかっのだ。音楽的才能が有り過ぎた為にコルトレーンは自分の内面を昇華させてしまったのだ。逆にアイラーは自分の存在する空間や時間から自分の肉体を切り離して考える事など到底出来なかったのだ。
 その為にアイラーは、もっとストレートにメッセージしようとする。しかし無垢な彼のストレートな表現は未消化なままで彼の死と共に終わってしまう。もし彼が、もう少しだけ長く生きていればジャズは研究熱心な学者肌の人たちの嗜好的素材としての立場から離れ、リアルで艶々とした歌謡曲やダンス音楽の類に戻る事が出来たかもしれない。

 このアルバムは聴こえたように聴き、好き嫌いだけの単純な判断が最も似合うアルバムだと思います。そして現在見る事が出来るのかわからないこの映画が無い事が全くマイナスに感じないのは、彼らが映画の向こう側に実在する自分達の体現したリアルなニューヨークを彼ら自身の肉体で表現したからにほかならないんだと思います。



New York Eye and Ear Control
Albert Ayler


New York Eye And Ear Control New York Eye And Ear Control
Albert Ayler (2000/10/10)
Get Back

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■New York Eye and Ear Control / Albert Ayler

この人なら、この曲かな。
それぞれの演奏家の印象的な曲やアルバムを内容説明は兎も角、書き出してしまおうかと思います。細かい感想などは、それぞれ機会を見て書こうと思います。何せ、最近は随分記憶力も衰えてきて(苦笑)、メモっておかないと忘れてしまうんです〜。


New York Eye and Ear Control
Albert Ayler


New York Eye And Ear Control New York Eye And Ear Control
Albert Ayler (2000/10/10)
Get Back

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Albert Aylerと言えば、1964年にTrioで録音したSpiritual Unity。彼を紹介する時に大抵これが初めに出てきますし『名盤』とも言われています。私もこのアルバムが始めて聴いたアルバムですし、随分聴いたので思い込みの深いアルバムに間違い有りません。

ところが今『Albert Ayler』を聴こうと思うと『New York Eye and Ear Control』を手にする事が多いのです。他人の作った映画の為の音楽と言う間接的な方法が、何がしかの特別な魔法を音符に降りかけてしまったように感じます。ミュジック・コンクレートと言う方法論へのアンサー・ソングの様に、彼らの楽器が作り出す音楽は、New Yorkの喧騒・匂い・温度や湿度まで表現してしまったと思います。

音楽を「私の人生の為のBGM」と考えている私にとって、ステレオの前に座る事を前提としないNew York Eye and Ear Controlは、「心地良い」と言う言葉以外にシックリとくる言葉は、今のところ存在しない気がします。今の私にとって「Albert Ayler」と言えば、このアルバムなのかな。


いつも言葉が見つからなくて困りながらも
何度か彼について書いています。
Albert Ayler
音楽至上主義と言う事だろうな
Spirits / Albert Ayler
Albert AylerとJohn Coltrane


■Albert AylerとJohn Coltrane


Holy Ghost:
Rare & Unissued Recordings
(1962-70)
Albert Ayler



*残念ながら販売は終了したようです。


美しいメロディも感銘する詩も耳障りな時が有る。風で揺れる木々のこすれ合う音や車の走る音の方が心地良く思える時が有る。静寂の中で深く沈んでいく事を拒否する為に音楽を聴く時だって有る。

Albert Aylerの9枚組みBOXに手を延ばしDisc2を選んで、最後に入っている1966年の2月に録音された、タイトルの付いていない8分55秒の曲を何度も何度も繰り返して聴いた。

Albert AylerとJohn Coltraneは、1966年の2月19日にNew YorkのLincoln Centerで一緒に演奏をしている。
メンバーは、John Coltrane (ss, ts, per), Carlos Ward (as), Pharoah Sanders (ts, per), Alice Coltrane (p), Jimmy Garrison (b), Rashied Ali, J.C. Moses (d), Albert Ayler (ts), Donald Ayler (tp)。演奏された曲は、OmとMy Favorite Things。残念ながら聴いた事は無いが、Omはプライベートで録音されたテープが有るらしい。メンバーと演奏された曲から言って、ColtraneのステージにAyler兄弟が客演したのだろう。

自らの中に宇宙を生み出そうとしていたようなColtrane。自らの演奏によって自然と一つになろうとしていたようなAyler。彼らのアルバムを聴くと、お互いが惹かれあい刺激されながら、尚且つ自己を保てた事が少しも不思議に感じない。

一体彼らは、何を感じていたんだろう。



■Spirits / Albert Ayler


Spirits
Albert Ayler



01. Spirits
02. Witches And Devils
03. Holy, Holy
04. Saints

Albert Ayler (Tenor Saxophone)
Norman Howard (Trumpet)
Henry Grmes (Bass)
Earle Henderson (Bass)
Sonny Murray (Drums)

1960年頃から一部の人に注目され1963年にヨーロッパで正式録音デビューしたアルバート・アイラーが、ニュー・ヨークのイーストリバーに浮かんだのが1970年。その間に実質録音を意識しての演奏は5年ほどだと思う。

1964年にSpiritual Unity等の幾つかのレコーディングをニュー・ヨークで行い、その直後ヨーロッパでツアーをした時の録音が、彼の評価のピークになるだろう。

このアルバムはSpiritual Unityの1ヵ月半ほど前の録音。既に彼独特の(ワン・パターンの/笑)フレーズは出来上がり始めている。注目すべき所は、Spiritual UnityがTrioで有るのに対しSpiritsが、2管+2ベースである事だろう。

音楽を表現する事と自らを表現する事のせめぎ合いの中で、何かを表現しようとしていたAlbert Aylerが、自らの内面から出て来るものに比重を置いていた初期の作品ではないかと思う。

その数年後の彼は、JAZZや自らが忘れ去ろうとしている本質を表現する為に極めて土着的な音楽表現を録音をしていくが、神様はその完成を許してはくれなかった。

彼がもう少し長く生きていれば、現在フュージョンやクロスオーバー、スムース・ジャズと呼ばれている音楽は、もっと違う形になったかもしれない。

■求めた時に求めた様に有るとは限らない。


身勝手にやってきたつもりだが、
現実には
「鎖に繋がれて生きるのは嫌だ」
と言う言葉に
繋がれて生きてきた。

「人の背中を見て歩くのは嫌だ」
と言って
仕事ばかりしていた頃も有った。

「自由にやりたいから」
と言う言葉に踊らされていたが、
何一つ自由など無かった。


着実に
死の側に向かって歩いていると言うのに
いつまでたっても
自分が見えてこないし
何を求めているのかもわからずじまいだ。


自分では
随分ノンビリとした性格のつもりでも
周囲の流れが
それを許してくれなかったと
責任転嫁するのが精一杯。

結局は
身勝手に振舞うのが好きなだけで、
何一つポリシーなんて無かった。


アルバート・アイラーが存在したのは、
彼の残した録音で現実だと確認できるが、
私がJAZZの存在を知った時に
海の向こう側で、
彼の録音が行われていた事が、
紛れも無い事実だと理解するのには、
多少の違和感がいまだに残っている。

私が彼の存在を知った時には、
もう彼は存在していなかったのだ。



Nuits De La Fondation Maeght
1970
Albert Ayler




■音楽至上主義と言う事だろうな



Complete Live at Slug’s Saloon Recordings
/ Albert Ayler


01. Truth is Marching in (Albert Ayler)
02. Our Prayer (Donald Ayler)
03. Bells (Albert Ayler)
04. Ghosts (Albert Ayler)

Albert Ayler (ts)
Donald Ayler (tp)
Michel Sampson (vln)
Lewis Worrell (b)
Ronald Shannon Jackson (d)

Slug’s Saloon, New York, May 1, 1966


free jazz好きの人達には絶大なる人気を誇る(と私は思っている/笑)彼ですが、その人気とは裏腹にオリジナル・アルバムの少ない演奏家だと思います。音源全体においても個人所蔵の噂ばかりで中々日の目を見なかったのですが、2004年秋に未発表音源のBOXが発表され、少しずつですが彼の軌跡が垣間見れるようになってきました。

そんな彼がJazz界にAyler有りと注目されだしたのか、彼としては音源の多い1966年。これはそんな時期のSlug’s SaloonでのLiveです。アナログ時代はvol.1とvol.2という形で出ていました。Completeとは成ってはいますが、他にも数曲演奏したと言う記録が有るので、もしかしたらこれからまだ発見されるかもしれません。

いかにもLiveらしく長尺ものが多く彼自身の調子も良かった事が伺えますが、注目すべき所はDrumsがコールマン一族で有名なRonald Shannon Jacksonだと言う事です。どうやら1966年の5月頃には彼のBandに在籍していたようです。こんなところで修行してからコールマン師に仕えたのですね。

私はAylerと言うとどうしてもSunny MurrayのDrumsのイメージが強いせいなのか、ここでのRonald Shannon Jacksonの演奏は、あまりイメージ豊かな演奏には聴こえてきません。勿論悪い訳ではないのですが、ついて行っていると言うような感じです。それが原因なのかもしれませんが、全体的に緊張感は少なく楽曲の面白さと演奏の展開で聞かせているように感じます。

それでも15分から25分と言う長尺をダラダラとした演奏にならず次々に展開していく様は中々聴き応えのあるものです。様々なテクスチャーが交じり合いながら一つの楽曲の演奏としてまとまり、お互いの演奏が独りよがりのバラバラとしたものの集合体にならずに進んでいく為にアチコチに面白さが有り飽きさせないものとなっています。

確かに頭でっかちのわけのわからないfree jazzの諸作品も有りますが、Aylerはそれらの作品と少しばかり違うように感じます。何と言うのか・・・そう極めて音楽的と呼ぶのがピッタリでしょう。聴く側も体感的な感じと言うのかリアルに音に向き合って感じるままに感じ聞きたいように聴けば良いように感じます。少なくとも私はそんな感じで聴いています。

■Albert Ayler



Albert Ayler


ずっと昔から聴いているのに、
少しも理解なんて出来ないのに、
飽きもせず毎日毎日音楽を聴いています。


プロフィール

falso

  • Author:falso
  • いらっしゃいませ。
    極めて個人的で身勝手なBlogです。音楽は楽しく自由に聴きたいと思っています。

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    相方のJazzminに振り回されています。玉抜きましたがKingです。
    庭にいたネコを捕まえてMintと言う名前をつけました。
    お陰様で、現在ヘンな顔のネコ2匹の飼主です。

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